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池袋で全身ピンクだけど全く目立たない林家パー子を目撃した!!

というわけで以前、
“TSUTAYAの入り口の盗難防止の機械がピーピー鳴ったとき、
 無実の俺はどういうリアクションをとればいいのか問題”

ということをここで書いたのだが、
レンタルショップのヘビー・ユーザーとしてもうひとつだけ黙っていられない問題がある。
“ジャンル分け”だ。

DVDっていうのは、たいてい“コメディ”とか“ホラー”とかいうジャンルに分けられていて、
欲しいDVDがありそうな棚に行くわけだが、どうもあれがいけない。

例えば、洋画のホラーを探しているとしても、
ただ“ホラー”の棚に行って、あいうえお順で探せば良いわけではない。

“ホラー”の棚に行っても、そのなかで、
“スプラッター”“モンスター”“オカルトサイキックホラー”“ドキュメント”“オムニバス”
さらには“その他”なるものもあったりするのだ。
これだけ分類しといて“その他”はないだろ、と突っ込みたくなってしまうのだが
世の中というのは不条理なものである。

このように“ホラー”をさらに細かく分類した中から、
自分の探している作品がどれに当てはまるのかを考えないといけないのだ。

探しているDVDが“モンスター”だと思っていたら実は“オカルトサイキックホラー”だった、
なんてパターンはよくある。

本来見つけ出しやすいように作られたものが、かえって時間がかかってしまうのだ。

他に例を挙げれば、
“ドラマ”の中では、
“恋愛”“青春”“ファミリー”“シリアスドラマ”そして“その他”など、
これまた単純にあいうえお順だけでは探せないようになっている。

だいたい“ファミリー”ってなんだ?
寺内貫太郎一家的な下町の家族と近所の人々の触れ合いを描いたホームドラマか?
それとも牛角のファミリーカルビ的な、
ちょっとお得だけどやっぱり“上”には劣った感じを拭いきれないドラマなのか?

どちらにしても、そんな限定されたジャンルが“恋愛”とかとタメを張ってもいいのだろうか?


こんなことを書いているのも、
先日『死霊のはらわた』のDVDを借りようと思ってTSUTAYAに行ったのだが、
どこを探してもホラーの棚に無くて、
店内を探し回った挙げ句、“サムライミ”の棚にあったことに腹が立ったからだ。
# by WeightyPortion | 2007-02-04 22:33 | 活動写真

文系ルサンチマン

実験だけだと思って選んだ物理学に、実は試験があるということを後から知ったのだが、
それが相対性理論についてだなんて言われたら、もう太刀打ちできない。

ビデオを使って文系の学生にも解かりやすく教えてくれるという教授の話だったが、
「みんな初めはそんなこと言うんでしょ。でも、どうせワケ分かんなくなっちゃうんだから!」
と、最初からビデオには期待していなかった。

ところが実際にビデオを観て度肝を抜かれた。

まず最初に画面に現れたのはバイオリンを弾く少年。
もうこの時点で意味が分からない。
さらに、その少年に「私はアインシュタインです」みたいな感じで
どこからともなく声が聞こえてくるのだ。
とても相対性理論のビデオとは思えない。

NHKの制作ということもあり、
てっきり教育番組的な、もの知り博士が着ぐるみに科学を教えまくるとか、
アナウンサーがどっかの大学の研究室に行って話しを聞く、
みたいな地味~な展開を予想していただけに、このオープニングはかなり衝撃的だった。

その後も、等身大のアインシュタインの浄瑠璃人形が出てきたかと思えば、
先ほどのバイオリン少年は「僕は一体何者なの?アインシュタインさん?」とか
アブないことばかり言って、見るものを惑わせる。
さらに、CGを駆使した倒錯系の映像の中を少年が歩くシーンでは
「アァァアインシュタァァアーイン!!」という絶叫がいく重にも重なって鳴り響く。
しつこいようだが、これは相対性理論のビデオである。

そんな、寺山修司とテリー・ギリアムを足して2で割ったような、
スピリチュアルな映像世界が最後まで繰り広げられているのだ。
面白くないワケがない。

肝心の相対性理論だが、結局どういう理論なのか分からなかった。

来年度に自然科学科目を履修しようと考えている人には、
テストがあることを差し引いても、物理学の授業をとることをおすすめする。
# by WeightyPortion | 2007-01-29 09:19 | 妄言

最後のアンチテーゼ

先週の水曜日は、俺にとって今年度最後の昼休みだった。

大学の食堂はあんまり好きじゃないので、握り寿司とか鍋とか、
大学の昼休みというシチューエーションではありえないはずのものを食べてきたわけだが、
今回は今年度ラストというわけで、野井と企画してピザを宅配してもらうことになった。

「宅配」っていうくらいだから、
家以外の場所に届けてくれるのかっていう不安はあったのだが、
大学の近くのピザーラに電話してみると、
ちょっと戸惑いつつもこちらの名前と電話番号を言ったら、日吉駅前まで届けに来てくれた。
最後のアンチテーゼ_f0027641_184685.jpg

まぁ正直言って、大学で鍋を食べた時のようなインパクトは無かったが、
律法会のたまりというアウェーなところでピザを食いながら、
前に出てマイクで告知をする律法会員に向かって野次を飛ばす野井の姿は
ピザを食いながらNFLをテレビ観戦するアメリカ人みたいで、なかなか雰囲気が出てた。

そしてその後、俺は前回書いた例の年賀状を渡したのであった。

何のために大学に行ってるんだ、ということをこれ程までに考えさせられた日は無かった。
# by WeightyPortion | 2007-01-21 01:10 |

年賀状一揆

「ムシャクシャしたからやった」「警察だ!車を貸せ!」「悟りを開いた」とか言えば
なんでもありな世知辛い世の中だが、
その波がついに年賀状にまで押し寄せてきたようだ。

論理学の教師の名を語る人物からは、その教師の似顔絵が描かれた年賀状が届き、
年賀状一揆_f0027641_11354258.jpg

それに負けじと
送られてきた年賀状にはすべて手書きで、完全にモラルが崩壊した年賀状を送り返す。
年賀状一揆_f0027641_11355643.jpg

年賀状一揆_f0027641_1136535.jpg

年賀状一揆_f0027641_11361819.jpg

そして先日、佐々木ことササッキーから貰った年賀状の返事を出していなかったので
年賀はがきを買いに行ったのだが、
世の中では正月ムードはすっかり消え失せており、普通に返すのは申し訳ないので、
手書きどころか、いっそのことはがきから作ってしまおうという結論に至った。


その結果、完成したのがこれ。左のやつ。右は本物。
年賀状一揆_f0027641_1145399.jpg




リアルに作ろうと思ったのだが、うっかりサイズを間違えてしまった。という設定。
年賀状一揆_f0027641_11365246.jpg

恐ろしいことに、拡大コピーやプリンタは一切使っておらず、
サインペンと色鉛筆と定規のみで描かれている。



☆★ジャンボ年賀状のつくりかた★☆ ~みんなもやってみよう!~

まず、本物の年賀はがきの寸法を測る。10分の1ミリ単位まで正確に。
年賀状一揆_f0027641_11371751.jpg

本物に近いリアルな質感を出すためには、一つのミスも許されない。
そのため、設計図を描いて綿密なプランを立てる。
今回は縮尺を3.716倍に設定し(面積でいうと約14倍)、
電卓で計算してジャンボ年賀状の寸法を出していく。
年賀状一揆_f0027641_11372934.jpg

設計図が出来たら、厚紙(これの上に白い紙を貼る)を正しい寸法に切り出し、
あらかじめ計算しておいた寸法を鉛筆で下書きしながら、
A4の紙にサインペンと色鉛筆を駆使してはがきの模様を書いていく。
年賀状一揆_f0027641_1144020.jpg


気の遠くなるような作業が続く。





9時間後・・・





ついに年賀状のおもて面が完成する。それが下の写真。
年賀状一揆_f0027641_11384137.jpg

各パーツごとに分けてクリアファイルに収められたジャンボ年賀状のおもて面。
かなりシュールな光景だ。
時刻は既に午前4時を回っていた。


翌日、厚紙に昨日のパーツを貼っていき、おもて面が完成する。
年賀状一揆_f0027641_11385338.jpg

裏面は活字っぽく見えるように、パソコンの画面を見ながら
「謹賀新年 昨年は大変お世話に・・・」
という、まさに年賀状!って感じのキメぜりふを描く。もちろん手描きだ。
さらに、左上の松の絵は水墨画風に筆ペンで描く。
年賀状一揆_f0027641_1139196.jpg

はがきの模様や裏のレイアウト以外の
宛名や裏の一言メッセージはあからさまに適当に書いて、
いかにも大量生産したように見せる。
あくまで、“大きさ”以外は普通の年賀状と同じにするのがポイント。
じゃないと、もう年賀状じゃなくなってしまうからだ。


前日の作業時間も合計すると、
なんとこのジャンボ年賀状制作にかかった時間は、
驚愕の20時間!!(ナグビブリオ食中毒が発症するまでの潜伏期間と同じ)


宛名等もリアルな住所を書いているため、すべてをここに載せることはできない。
年賀状一揆_f0027641_14284250.jpg

# by WeightyPortion | 2007-01-18 11:39 | 年賀状

ポチたまの謎

“ポチたま”っていう番組がある。

見たことはないので内容は知らないけど、
名前から察するにポチは犬で、たまは猫なんだろう。
ポチとか、たまとかが出てきて大活躍する番組なんだろう。
ポチはカタカナなのに、たまは平仮名なのは、
たまをカタカナにすると問題があるからなんだろう。

先月その“ポチたま”に出てくる旅犬“まさお君”が急逝して
2日間で6700人が献花台に来たらしい。
それで、「へー、すごいねー」ってことを書こうと思って
“ポチたま”のホームページを見たんだけど、
本来は悲しい話のはずなのに“まさお君”という名前のせいで、
どうも深刻な感じが伝わってこないというか、
なんだか、ふざけてるんじゃないかって思えてしまった。
「じゃあどうすればいいんだ」って言われるとそれはそれで困るけど。


あと、日本ではじめて犬に“ポチ”っていう名前をつけた奴ってぜったい頭おかしいと思う。
どういう発想で出てきたんだよ。シュールすぎだろ。

“たま”も似たようなもんだけど、“たま”なら人の名前でありそうだからな。
でも“ポチ”って名前の人はさすがにいないだろ。

たぶん“ポチ”という名前を犬にはじめてつけた人は、何十匹も犬を飼っていて、
犬が生まれるたびに名前をいちいち考えるのが面倒臭くなって、
どんどん適当になっていったんだろう。


写真は、あの“たま”。
よく見ると人面猫ぽくってなんだか不気味だ。
ポチたまの謎_f0027641_2531724.jpg

# by WeightyPortion | 2007-01-15 02:53 | 妄言